tenshinnの探険と冒険の河旅ブログ

日本の最長河川10河川の踏破記録です!!

阿賀野川物語その16 ヤルタにて その1ヤルタ到着

「ルック モスクワ・レニングラードソ連一周の旅」も後半戦となった。
 ここまで、ハバロフスクタシケントトビリシエレバンを見て回り、残すはヤルタ、キエフレニングラード、モスクワ4箇所である。
 
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921()の一日は、1000kmの距離を2時間程かけてアルメニアエレバンから黒海上空を飛び、クリミア半島の中央部に位置するシンフェローポリ空港まで行く空の旅で始まった。
 
どのように飛んだか、怖くなかったかというようなことは、例によって全く記憶に残っていない。
 
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あくまでも資料は、JTBの旅行日程表のみで、この通り旅行が進んだとして、ブログを書いている。
日程表等を見ると、シンフェローポリからヤルタまでは2時間程の山下りの道となる。
 
ヤルタキエフウクライナ共和国の都市、僕らはとうとう東ヨーロッパと呼ばれる地域へ足を踏み入れた。
 
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今日の日程は午後から観光となっており、宿泊はまったく推測不明のヤルタの某ホテル。
翌日は丸一日自由行動となっていて午後7時半に次の観光地であるキエフに向かって飛び立っている。
 
ヤルタウクライナ語: Ялтаロシア語: Ялтаクリミア・タタール語: Yalta)はウクライナ南部、クリミア自治共和国の都市。
クリミア半島南端に位置し黒海に臨む。「ヤルタ」の語源は、「岸辺」を意味する語。
古代ギリシア人たちによって開かれた町であり、上陸に際して安全な岸(γιαλος / yalos )を求めたギリシャの船乗りによって築かれたといわれている。
南に黒海と接し、森林に取り囲まれており、温暖な地中海性気候に恵まれた都市。
 
19世紀には、町はロシアの貴族や上流階級の人々のための高級リゾート地となった。
ロシアの文豪レフ・トルストイアントン・チェーホフらはヤルタで夏を過ごした。
アントン・チェーホフにおいては1899から1904までヤルタに住み、この地で『三人姉妹』『桜の園』などを書いた。
ヤルタはチェーホフの短編小説「犬を連れた奥さん」の舞台ともなっている。
 
20世紀ソ連時代になると、ヤルタは帝国随一のリゾート地となった。
1920年、ウラジーミル・レーニンは「クリミアの労働者の療養のために使用するにあたって」との布告を発し、この地域をきらびやかで高級なリゾート地から疲れたプロレタリア労働者のための療養の地へと作り変えることを推進した。
ヤルタ周辺には、労働者のためのサナトリウムがいくつも建設された。
1945年にヤルタ会談が行われた場所としても有名である。
 
JTBの日程表には、ヤルタの市街中心図が掲載されていて、1km程の長さのメーンストリートである海岸通りにリゾートホテルや観光名所が記載されている。
 
 
 
 
ヤルタで撮った写真は撮影場所が容易に解明でき、その結果、僕らのツアーは921()の午後、燕の巣アルプカ宮殿リヴァディア宮殿を見たようである。
 
夕食後は例の僕等のツアーの若い独身者でヤルタの街へ繰り出し、男女6人夏(9月なので、秋の方かも)物語となって楽しんだようである。(その写真は、支障があるので掲載不可)
 
翌日はヤルタの海岸通りを散策したり、マサンドラワインを試飲したり、チェーホフ関連の観光施設を見学したり、高級リゾート地でのショッピングを楽しんだようである。
では早速、921()午後の旅を始めよう。